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04.14  SBP


 約半年振りに降り立った青春台では桜がそこかしこに咲いていた。昨日一昨日の雨で落ちた花びらの隙間を埋めるように新緑が顔を見せる、美しい葉桜並木が、白石が向かった公園を囲むように植えられていた。道は綺麗に掃除されて、片側に花びらが寄せられている。なるほど、この町並みなら桜に臨むと彼女の通っていた学校に名をつけた者の気持ちも分かる、と白石は思った。
 彼女は珍しい桜色のブラウスの制服で、スカートの襞が崩れるのも気にせずによく走って待ち合わせ場所に来ていた。自分の姿を確認するなり嬉しそうに走ってくるものだから、自然に口元が緩んだ日々を思い出しては、白石はやさしい気持ちになる。彼女と居た短い時間は本当に笑ってばかりだった。幸せだったと言っても良いのだと思う。
 白石は入口のあたりに萼ごと落ちてしまっていた桜を一つ摘みあげると、それを左手に公園付属のテニスコートに入って行った。2ヶ月かそこらの短い時間でここへは何度通ったか知れない。ただ、一人でここを通るのは二回目だ。彼女に出会った日に通った一度目と、今の二度きりだ。あとは彼女とテニスをしに来た時ばかりだ。いつもラケットを片手に、時間を忘れて二人でテニスで楽しんだ。ここは白石にとって夢のような二ヶ月のを象徴する場所だった。
 三時過ぎのダブルスコートには他に人は居なかった。丁度良い、と一人呟くとベンチに荷物を置いた。持ってきたバッグの中から、左手の桜を握り潰さないよう留意しながらラケットを取り出し荷物と同様にベンチの上に置く。それは中学の間ずっと愛用してきたラケットで、このラケットで彼女とストリートテニス大会も勝ち抜いた。白石の中では、彼女と過ごした時間に関わったものは全て格別なものになっていた。このラケットも特別なもので、だから東京に一緒に持ってきた。
 白石は少し考えて、桜をガットの間に差した。萼が上手い具合にガットに支えられる形になって、まるでラケットに春が咲いたようだった。白石は制服のポケットに入れていた携帯を取り出すと、カメラモードに設定した。ストラップに右手を通すと、反対の手でそろそろとベンチからラケットを持ち上げた。桜が落ちてしまわないように面を地面に対して平行に保ちながら、白石はコートに入る。コートの中にも桜の花びらがたくさん入っていて微笑ましい気持ちになった。構えたガットの隙間からも桜が臨める。良い写真が撮れそうだ、と思った。白石は右手に提げた携帯を器用に持ちなおすと、思い切りよくシャッターを切って写真を保存した。ラケットを静かにコートに置き、利き手に携帯を持ち替える。文面に迷う事なくさくさくと短いメールを打つと、先ほどの画像を添付して送りだした。さあ、これから帰りの新幹線の時間までに返事が来るのかどうか。そして彼女が、このメールが今日送られることに意味があることに気づくか否か。どちらも賭けだったし、賭けてみたくなったから、白石は今日東京に出てきたのだった。メールの送信が完了したのを確認して、携帯を折り畳む。ラケットを持ち上げると、白石はベンチに戻りそこに腰掛けた。一人ではテニスはできなかった。

 

 

 

 


 枕元の携帯がアラーム音を立てる前に目が覚めた。普段起きる時間に比べて外が随分暗く感じられたので、気になって待受を開けば朝の5時半だという。と、そこで携帯が寝ている間にメールを受信していることに気付いた。昨晩寝る前には何もなかったはずだ。こんな朝早くに、一体誰が――。疑問に思いながらもとりあえずメールを開く。一番植えに表示された送信者の名前を目にした瞬間、意識が覚醒した。跳ね起きてメールを読む。内容自体は短かったので、読むのには20秒もかからなかった。彼女は読み終えるなり布団を抜け出すと、急いで支度をした。右手にラケットを、左手に携帯を握ると彼女は外へと飛び出した。行かなければならないところがある。

 彼女が向かったのは最寄りのテニスコートだった。彼女が毎朝自主練を積んでいるそこは、早朝のため誰も居なかった。息を整えながらベンチに座ると、携帯のアドレス帳から目的の人物の番号を呼び出し、ためらうことなく通話ボタンを押した。仕方ない、今月はちょっと節約しよう。オーバーの通話料は自己負担と、こちらに越してきた時に家族会議で決めた。
 高鳴る心臓をどうにか抑えながら、何故か震えている手で携帯を耳に押し当てる。これは一種の賭けなのかもしれない、と思った。彼が電話に応じるか否か。そして彼がメールでしてきた問い掛けに、自分の寝起きの頭が直感で弾き出した答えが正しいのかどうか。彼女にはこの電話は絶対に一度で繋がると理由なく信じられた。賭けてみたい、自分の謎の直感と彼に。

 数回のコール音の果てに、彼女は自分の直感が正しかったことを知った。思わず、携帯を持っていない方の手でガッツポーズを取った。

「白石さん!」
 転校が多く、固定の大切な友人というものを殆ど持っていない彼女にとって、白石はかけがえのない存在だった。ダブルスのパートナーとして一緒にコートに立った2ヶ月間は、まだ15年にならない一生の中でも酷く鮮烈に輝いている。朝届いたメールは彼からのものだ。10時間の時差では、変な時間に手紙が届いてもしょうがない。そして今回はまた、特別な理由があった。
「16歳のお誕生日おめでとうございます!」
 電話の向こうで彼が嬉しそうに笑ったのが感じられた。彼はよく笑う人だったと記憶している。いつも目がきらきらしていて、楽しいことがあると幸せそうに目を細める人。彼のことを思い出すと、一緒になってニコニコしていたことばかりが思い出される。
「ああ、おおきに。よう覚えてたな、俺教えたんやっけ」
「桜乃ちゃんに聞いてたんですよ。……ねえ白石さん、まだ公園のコートにいますか?」
 彼からのメールには、短くこう書かれていただけだった。

 ――今どこにおるでしょう?

 迷わずたたき出した答えを自信を持って告げた。彼が居たのは絶対あの公園のコートだ。ただ不安だったのは、彼が「今」と書いた時間から、もうすぐ40分になるという点だった。そこにだけは確信がもてなくて、疑問調になった。

「……ああ、おるで。青春台の、コートのベンチ。珍しいで、こっち今3時50分てとこやけどまだ誰も居らへんの。君はどこに居る?」
「前にもメールしたテニスコートです。こっちも朝早いから、誰も居ませんよ」
「ほんま? なんや奇遇やな」
 嬉しそうに彼が言うものだから、一緒に気分が高揚してきた。その懐かしい感じに、彼と話しているのだと改めて実感した。
「でも、白石さんなんで青春台に? 授業とかもそうですけどわざわざ東京に…」
「授業は新入生やから今日は健康診断だけで午前帰り。コッチに来たんはなあ……」
「来たのは?」
 白石がふっと笑うのが電話の奥から聞こえてきた。彼がどういう顔をしているのか、なんとなく想像ができる。自信たっぷりの笑みを浮かべているはずだ。
「……テニスしようと思て」
 え、と思わず声が漏れる。だってさっき彼は一人で居ると言ったはずだ。一人ではテニスが出来ない。不思議に思って、直球で尋ねた。
「白石さん、一人で居るのに?」
「せや。……でも、今は違うやろ?」
「え?」
「君がコートに来てくれとるやろ。……そういうことや。君とテニスしたいけどできひんから、せめて試合しとった時みたいにコートで会話しようと思て。でもって会話するんは、このコートに居ないと俺は意味がない。せやから東京に来た」
「そうだったんですか……」
 白石がそう話すのを聞きながら、コートまで出てきて正解だったと思った。ここなら自分も、彼と一緒にテニスをしていた時のようにして、彼と同じように会話ができる。
「賭けやったんやで? こっちに居られる間に君が応答するかどうか。勝ててほんまに絶頂やわ」
「私、朝いつもより早く目、醒めちゃったんですよ。白石さんが呼んでたんですね」
 ふふっと笑ったら呼応するように彼も笑った様子が伝わってきた。ああ、本当に彼と話している間は笑顔以外にはなれない。
「せやな。最高の誕生日プレゼント、確かにもろたで。おおきにな」
「はい。あの、私も白石さんとこうしてコートでお話できて楽しかったです! ……また一緒に、絶対テニスしましょうね」
「もちろんや。楽しみにしとるで。それじゃあまたな、朝っぱらからほんまにおおきに。めっちゃ幸せ」
「私もです。それじゃあ、また」
 プツリ、と電話が切れる。彼が誕生日に自分との時間を望んでくれたことが無性に嬉しくて仕方がなかった。そして彼もまた同じような気分でいることを信じられる、この満ち足りた気分こそ幸せと呼ぶのに相応しいのだと思った。
 一人ではテニスはできない。二人で居るから幸せで、テニスができるのだと彼女は知った。自分の誕生日にも彼と一緒にテニスをしたいと思う。

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